
2008年1月4日 コンゴ民主共和国、首都キンシャサ内のキンガサニに行ってきました。
この町は、田舎と都会の中継地のような位置にあります。
戦争で逃れてきた人や、村が貧乏で出稼ぎに来た人、また都会の警察から逃げてきたような人たちも、住んでいます。そのため、難民の子供とか、親が貧乏とか、捨てられたとか、親がいない子供達が多くいます。
こうした路上に住んだり、学校に行けずにブラブラしている子供達をまとめて「シェゲ(ストリートチルドレン)」と言います。
また、首都キンシャサに暴動などが起きる時の発祥地とも言われるほど、治安の維持が大変なところです。
私が行ったのは、2008年1月4日でした。お正月だから、路上に多くの人たちがいるので、お祭りかと聞いたら、仕事がないから、ここにいるだけだと言われました。
この学校には、安全のためレンタルの自動車で行くしかありません。一緒に来てくれる人も勇気がいります。
迷路のような砂地の細い道をくねくねと、それも自動車の通れる道を聞きながら進みます。
その途中では、前後左右のどこからも、大勢の子供達が、「ムンデレ!(白人)」「マデス!(白い豆)」と騒ぎ、車の後を追いかけてきました。彼らは、白人を見たことがないので、興奮していたのです。
でも、あいさつに手を振ると「ケラケラ」笑って喜んでくれました。
子供達が、かわいくて、かわいくて、もっと居たかったのですが、水も電気もないところで、安全のために、暗くなる前に帰らなければなりませんでした。
1997年頃の内戦が始まったころから、路上に住む子供達が増え、いったいこの子供達はどこから来るのかと皆が驚くほど、日々ストリートチルドレンが増えていきました。
その少し前までは、子供は宝で、よその子供でも育てる国民性だったのですが・・・・。2003年頃からは,世界的にも大きなニュースになり、30万人とも言われたことがありました。
そして、その子供達のために、マダム テレーズの考案で、50人ほどの子供のために孤児院を作り、食料の配給や、読み書きなどの教育をしていたのが、カナダのユニセフから支援された建物です。
この国で、ボランティアで始めて作られた孤児院といわれています。
その後、あっちこちでこうした子供達のための亜孤児ができていったそうです。
初期の試みだったので、カナダのユニセフが、とりあえず材木とビニールををくれ、自分たちで建てたそうです。 家や家族のいない子供が増えつづけ、土地が狭くなったので、私たちが、日本でチャリティコンサートをして、土地を買い足しました。そのおかげで、1.000人ぐらいの子供達が、ここで寝泊りし、食料の配給を受けることができました。
今は、食料の援助がなくなり、水もないこの孤児院から子供達がいなくなってしまい、学校に行けない子供達のためや、女性のための学校になっています。
せめて水があれば、家のない子供達を助けられるのです。しかし、ボランティアの先生たちの生活も大変なのです。また、この町には仕事のない人ばかりです。なにができるか、それすらも、わかりません。」


カトリック教会のボランティア ONG[Association Chretienne pour le Developpement Solidaire]の先生方です。10年前から、カナダのユニセフの援助で、1ヶ月80ドルのお給料で、学校に行けない子供達の世話や教育をしてきました。しかし、その援助も、2年前に打ち切られ、今は、カトリック教会の募金からの1ヶ月8ドルだけで奉仕をされています。



この日、教室に入れなかった子供達が外で待っていました。ごめんなさい!今度来るときは、皆にいきわたるように頑張ります。

先に了解を得て、ストリートチルドレンになった生い立ちや、
希望を話してくれた6人です。

マチュール君/10才
両親は,亡くなり、叔父(母の弟)の家に弟と住んでいます。勉強が好きなので、スポンサーになって、ちゃんとした学校に行けるようにさせてください。でも、この学校が好きなので、校舎を建て直して直してください。

オルフェレちゃん/年齢不詳、13才くらい
両親がいないのに誰も助けてくれません。兄と姉と田舎から来ました。兄も姉の彼氏も仕事もお金もありません。姉が、時々服を売っていますが、なかなか売れないので、学校にも行けません。


ツューロ君/12才
母と兄と弟が死にました。父は病気で仕事がありません。勉強がしたいけど、父のために仕事をしなければならない。今は、親戚に助けてもらっていますが、高校まで行って、メカニックの勉強がしたいんです。

バザリ君/14才
学校が大好きだから、朝学校に来て、夜は、ガソリンを売っています。でも、この町でガソリンを買ってくれる人はいないので、毎日、遠くまで売りに行きます。母は、アンゴラに行ったまま帰ってきません。兄と姉と一緒ですが、みんな仕事がないので、僕が頑張るしかないんです。今は水もない家にいるけど、将来は、勉強して偉くなりたい。


女性たちのクラスもあります。授業は、夜なので
ろうそくが必要です。
子供達のクラスと同様に、私の下手なリンガラ語で
挨拶をしました。
Mbote!!こんにちわ!
Nasepeli mingi komonaki na bango.
皆さんに会えてうれしいです。
Nazali Japonese. Konbo ngai Ngbazi Naoko.
Mon mari Congore, kasi akufaki kala.
Ezali mowana mowasi na Japon.
Bongo, nayebi awa mingi te.
Etumbaa esili. Natondi yo botondi Zambe.
Presidaan Kabila ezaali mosalaa mingi mingi.
彼女たちは、2児の母で、夫がコンゴ人だった未亡人の私に共感してくれ、同じコンゴ人の女性として励ましの言葉までもらい、じ〜んと心に染みてきます。おかげで、打ち解けて、どんどん彼女たちの問題を話してくれました。
彼女たちの声です。
・「読み書きができないので、目が見えないのと変わらない。」
・「夫の仕事がないので働かなくてはならない。」
・「子供がいて大変だが、将来のために頑張って文字を勉強してる。」
・「子供達は皆死んでしまい、一人で孫達を育てているが、どうしたらいいのか。今日も子供達の食べ物を探してる。」
・「24歳になっても、仕事がない。ミシンを習いたい。」
・「オシャレが好きなので、エステシャンやヘアの仕事をしたいが、道具もない。」
・「なにか技術の勉強をしたい。」「先生達もボランティアだから大変で、継続した勉強をしたい。」・・・・・・・


女性たちのクラスには、ミシンやハサミなどの裁縫セットと、貧しい子供達に学校の制服を縫ってもらうために、白と紺地の布を寄贈しました。
今回は、初めての下見できたので、自動車に乗せれる分しか持ってこれませんでした。
疑うわけではないのですが、いくら遠くても、やはりに手から手にと寄贈しなければならない現状をゆるしてくださいいね。



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